ながい午睡から覚めた史之春風と、その留守を守った守宮やもりからこぼれ落ちたものの記録。
by fumi-harukaze
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2006.01.23-Mon...

遅まきながら、やっとレンタルで見ることが出来た。
三谷幸喜・原作脚本、星護・監督の劇場映画だ。
わたしは基本的に映画をレンタルで見ることが少ない。
理由は家だと集中出来ないからだ。
途中でお茶を入れたり、オットと会話したり、ついやってしまう。
なので、どうしても見たい映画は必ず劇場でみるようにしている。
一度見逃すと、レンタルすることが無いから永遠に見逃すことだってないとはいえないのだ。
さて「笑の大学」。
実在の劇作家がモデルとしているとも聞いたことがあり、
その人へのオマージュかと思って観ていたら、
これは、全ての「もの書く人」への応援なのではないか
という気がしてきた。
ネタバレなので多くは書けないが、劇中、劇作家がこう言う。
「僕の書いたものは、直せと言われたら、それ以前よりも何倍も面白くしてやろうと思っているんです。それが僕の戦い方なんです」
うろ覚えだが、こういう意味のことだったと思う。
もちろん三谷幸喜が「全てのもの書くひと」に向けて脚本を書いたとは思いにくいし、そういう意図は無かったとも思う。
でもわたしはこの台詞に力をもらった。
リライト上等!
それ以前より何倍もよくすればいいだけのこと。
ただ問題がある。
わたしのリライト方法が良くする方向にだけ働くものではないということだ。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:48 | お引っ越し

2006.01.17-Tue...

先日、「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里がコラムで書いていたのだが、もうその内容もうろ覚えなのだが、とにかく書いてみると、書くことが無い、ネタが無い、というつまづきにはあわない、みたいなことを言っていて、軽く衝撃を受けた。
わたしはいつも、なにか書くときには、うんうん唸りながら文章を絞り出している。楽にものを書くことは無い。短歌のときも、すらすら詠めることは無い。日記を書くときも悩みながら書き進めている。
書くことは好きだ。
でも上手に書こうと思うあまり、自分で首を絞めているところがあるかもしれない。
といって、気楽にものを書けるか、と言ったらそれはできない。
どうすれば楽しく書くことができるのか。
糸井重里でさえ、書きたいことが毎日あって書くことに困らないというわけではないのだ。それなのにつまづくことが無いという不思議。
もっと書くことを好きにならないと、好きが足りないのかもしれない。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:47 | お引っ越し

 2005.06.27-Mon...n

題詠マラソンを振り返って。
クオリティにムラがある。
思いつかなくて苦しんだ題は、捨てるように詠み飛ばしてしまったから、それもいたしかたなし。
来年また参加するとして、そのときは、この質のムラを減らすようにしなくちゃならん。
それが技術力の向上というものかな、と思う。
あと、やっぱ破調になった歌は出来が良くない。
基本に忠実に提携を守る方が、今の実力では現実的だ。

うおのめに向けて。
今書いているのは、既発表の作品なのだけど、大幅に手を入れているのでだいぶ感じの変わった作品になってきている。
それでも足りないのは心理描写かな、と思っている現状。
ストーリーでものすごく変わったことを書いている訳ではないから、あとは人間をどこまで描けるか、になると思う。
まだ足りない。
制限時間いっぱいまで使うつもり。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:46 | お引っ越し

2005.03.31-Thu...

良い文章書きは、自分の思想を持っていないといけない気がする。
経験があるかないかではないのかもしれない。
経験がなくとも、何を考えることができたか、が勝負の分かれ目なんじゃないか。
日常から、事件から、ニュースから、本から、ネットから、噂から、わたしは何を思い、何を考えたか?
そこが厚みのある文章を作るための味噌蔵だ。
そうじゃないか?
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:44 | お引っ越し

2005.02.15-Tue...

思いつきで自分の本名をぐぐってみた。
違うひとだとおもわれるページがあるなかで、やべっ、こりゃひょっとしたら自分だ。と思える情報があった。
「1984年季刊コバルト 投稿作品『むかしばなし』○○(実名)史子」
ありゃ〜、このころ確かにコバルト買ってたよ。何度か投稿もしたかもしれない。でも覚えてないんだよなー。
気になって気になって仕方なくて、ネットをあちこち巡回検索。すると、雑誌は残ってないけれど、その作品を掲載したコバルト文庫が出版されていた。
ってのを知って、また巡回検索。アマゾンの中古本屋で発見したよ!早速購入したよ!家に届いたよ!早速読んでみたよ!
…む〜?
これはホントにわたしが書いたものなのかな?
記憶にあるようなないような…思い出せないなー。
記憶にないモノをいかにもあったかのように改ざんしてしまうのはできれば避けたいが、挿絵やなんだかんだにおぼろげな見覚えもなくはない…
多分、投稿原稿は、あまりにも稚拙だから、編集部の方でなにがしかの手を入れたんだろうな。それで自分の文体じゃないんだ。
そう思って読むと、やっぱり見覚えのあるようなないような…
むー。わからん。
送料入れても500円くらいだから、まあいっか。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:41 | お引っ越し

2004.11.23-Tue...

わたしたちが出会った年の、JRAのCMキャラクターは、木村拓哉だった。随分昔のような気がするけれど、実はついこの間なのかもしれない。産まれた、と思った娘は2歳半になるし、それを思うと、とても短い時間のような気もする。
子どもの頃は一日、一ヶ月、一年というのはとてもとても長い時間だった。それは楽しいことがたくさんあって、やることやりたいことが山盛りで、笑って転げ回ってくたくたで、瞬間がとても濃密だったからだと思う。
でも、濃密な瞬間というのは、オットとふたりでいる時間のすべてのことでもある。振り返ればあっという間。でもその時々はみっちりと詰まった時間だった。
記念日のひとつを忘れて過ごしてしまった。
オットの風邪ひき騒動や、義妹の出産などで紛れてしまったのだ。
大きな記念日は来月にあるから、11月のちいさな記念日は、この先忘れられていくのかもしれない。
あのころの気持ちは忘れたくないなあ…
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:39 | お引っ越し

2005.01.16-Sun...

年末からずっと低空飛行している。
気持ちの振幅はそれなりにあるのだが、大きくレベルが振れることはない。
Appleから5万円で買えるMacが発売になるのだが、今のわたしには、それさえも「それで?」という気分だ。今メインで使っているパソコンが7年前のモデルで、容量も能力もあっぷあっぷなのに。飛びつこうという気が起こらない。
これだけ欲がないのは(食欲も性欲も購買欲もない)経験から言うと、やはり鬱なのだ。激しい症状はないが、すこーし鬱なのだ。
まあこのくらいで済むようになったというのは喜ばしいことかもしれない。
そんなわけで、日々静かに暮らしている。
オットと義父は写真が趣味である。二人とも「日曜カメラマン」のレベルではなく、「アマチュアカメラマン」の域にあると思う。
そのオットの撮った写真の一枚を義父が気に入った。四つ切りに伸ばしてくれ、と頼まれた。
しかしオットの腰は重く、いつまでもネガの整理をしようとしない。それで、わたしがネガを探した。
昔のネガも最近のネガも一緒くたになっている中を、ライトに当てて、一枚一枚見ていった。
その中に。
オットのアルバムから消された写真を見つけた。
まだオットが神奈川にいた頃のだと聞かされたアルバムにあった、見覚えのある写真たちの中に、髪の長い女の子の写真があった。
助手席に座っている。ドリンクホルダーに缶コーヒー。長時間ドライブなのだろう。夏の写真だ。Tシャツに窓からの風で髪がなびいている。画面の右端にハンドルが写り込んでいる。運転中に撮ったものだ。ネガだから顔はわからない。でも表情はわかる。
それは楽しい時間を閉じ込めて封印された。
その封印がとかれることは、きっと、ない。
わたしは目当ての写真を探し当て、ネガのファイルを閉じた。
気分は低空飛行のままだ。
そしてわたしは、時間というやつに嫉妬している。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:39 | お引っ越し

2004.10.15-Fri...

ああこの人を選んでよかった、と思う一瞬。
というのは。
5歳の子どもを裸で置き去りにした行き過ぎたしつけの話がテレビのニュースで流れていて、それを夫婦で見ていた時。
「こんなのしつけじゃあないだろ?なんで一晩も置き去りにするんだ」
「このお母さんは『5分くらいだった』っていってるでしょ。わたし、この子の気持ち分かるんだけどさ。『お母さんがもう家にいらないって言った。山の中において行かれたし、おうちには帰れない。どんぐりを拾って食べて、穴を掘ってそこに住むんだ。それとも誰か、親切な人に拾ってもらって、その人の子どもになろう。今日は葉っぱにくるまって眠ろう』…とね。一瞬のうちにここまで考えるのよ。それで泣きながら、お母さんとは別方向に行くわけ。わたしもそういう子どもだったから」
「いや…でも、父親はどうなのよ。これやりすぎだと思ったら、止めるでしょう」
「『俺は仕事で忙しいんだ、子どものことは全部お前に任せた。しつけが上手くいかないのは、お前が悪いんだ』っていうお父さんなんじゃない?わたしの幼少期は、まさにこういうしつけをして、父親はそういう態度だったわよ」
まあさすがに裸で外に出す、とか、山の中まで連れて行って、とかいうことはなかった。そこはわたしの母が常識の範囲にいたということなんだろう。
しかし、暗い中で、おかあさん開けてーと泣きながらドアを叩いたり、子どもなりに絶望して遠くへ行こうと思ったことは、あった。
わたしが子どもだったウン十年前には有効なしつけだったと思う。しかし現在のように、子どもにとって暗闇が安全でない時代にはどうだろう。置き去りにすれば誘拐されることだってあるだろう。昔のように世の中は安全ではない。見守ってくれる近所のおじさん・おばさんはいない。自分のしつけが常識の範囲なのか、びくびくしながら子育てをしている家はあるだろう。
オットは、このニュースを見終わって、
「俺には理解できん」
と何度も言った。
この人を選んでよかった、と本当に思う。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:37 | お引っ越し

2004.10.07-Thu...

あー、しんどかった。
昨日、久々に平日休みになったオットが、結婚して初めて「クルマをいじる!」と言い出した。事前にパーツ工賃諸々の値段も聞いて了解していたこともあって、実際にクルマをいじるというのがどういうものか見物しにオートバックスへ。
オットが換えるパーツは、サスペンション部分のスプリング。本人曰く「あと3センチ下げたい!」のだそうだ。わたしには車高がさがることの価値はわからないが、普段からいろいろと辛抱させているので、ちょっと奮発しようと思った。
さてオートバックスでパーツを購入、そのままクルマはガレージピットへ。2時間ほどで出来上がります、と言われ、歩いて近所のココイチで食事。もうそろそろかな〜というころに戻る。
しかし待っても待っても出来上がりを知らせるアナウンスはない。3時間が経過したころ、ガレージを覗きに行くと、タイヤがはずされた姿でウチのクルマ。おおまだ作業中か。
しかしわたしは2時間で出来上がったら家に戻って、あれとこれとあれもやろう、と一日の計画をいろいろ立てていたのだ。
困ったなーと思いつつ、眠気をこらえて待つ。
4時間過ぎた頃に、担当の人がやってきて「まだもう少しかかります」と言った。正直、こんなにかかるなら、代車が欲しいぞ、と言いたくなった。
結局出来上がったのは預けてから5時間後。「免許持ってない人は、時間かかるからびっくりするでしょう?」とオット。
まあ、待っている間、ひさびさにゆるっと夫婦でおしゃべりが出来たので、それはそれでよかった。しかしやはり、ロスした3時間はなんとなく惜しい。
「だってね、オット。3時間ったら、ご休憩行けるじゃん!」とわたしが言っても、オットはひとりだけ満足した顔。さっぱりしやがって、こちらは悶々。
これね、オット。さすがに5時間もかかったの、後々までなが〜く言われ続けるのよ、覚悟して頂戴よ。
今言っても、オットは新しいおもちゃを買った子どもと同じで舞い上がっている。言い負けないための切り札は、しっかりと今はまだ持っていよう。
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# by fumi-harukaze | 2006-02-25 13:32 | お引っ越し